診察室の扉をノック

2022年12月28日がやってきた

やっとこのもどかしく霞んだ気分を変えてくることになるだろう

急展開のここ10日間の答えがわかるのだ

その安堵感からなのだろうか

大学病院の受診予約からこの日まで,頭の中で起こっているかもしれないことに関して,考えてしまうことはほとんどなかった

人というものは心持ち次第である

しかしながら人の心はまた移ろい易い

受診予約時間が近づいてくるにつれて,どんよりとした雲に気分が被さってくる

大学病院に到着する,病院受付を済ませる,予約時間の10分ほど前でちょうどよい時間となる

スケジュール通り,想定通りの行動である

そして脳神経外科外来窓口に行き受診票とともに紹介状を提出する

かかりつけ医院からの紹介で受診に来ました

すると受診票と紹介状を手にした外来窓口の事務員さんに尋ねられる

画像の入ったDVDは預かってきてはいませんか

H先生が事前に大学の方に持ち帰っていると聞いています,確認してみてください

その事務員さんは少し戸惑ったような不思議そうな表情をしている

確認いたしますのでお待ちください

それはそうだ,紹介状の宛先はK医師である

それなのに画像の話になって突然にH医師の名前が出てきたのである

窓口の奥に引っ込んだり他のスタッフと話したりしている

やっと確認できたようで,僕の名前が呼ばれた

K先生の診察室の前でお待ちください

受診票を渡されてK医師の診察室の前に案内される

診察室に表示されたK医師の名前を自分自身でも確認し,その向かいにある待合椅子に座り待つことにする

予約受付センターとの電話確認の時,新規の受診なので待ち時間が長くなるかもしれないという話を聞いていた

このことから小説を一冊持参してきたので早速読み始める

ページをめくる,ページをめくる,そしてページをめくる

文字の羅列が単なる記号として目から入ってくるだけである

その内容が全くといっていいほど頭に入ってこない

これからの僕自身に大きく影響を及ぼす事実にもしかしたら直面するかもしれない

この特異な状況の前に少しばかり緊張感が洩れ始めているのかもしれない

5分もしないうちに心穏やかに静かに読書するという行為は諦めることにする

ただただボーッとして待つことにする

大学病院とはいえ2時間とか3時間とか待つことになったらさすがに長いよなあ

ちょっとだけなら抜け出してもいいのかな

ただただボーッとしていると意外と緊張感が和らいでくるものである

ネガティブなことを考えることもないようだ

20分ほど経っただろうか

呼び出しのチャイムが鳴る

案内板に表示された文字を確かめる

そこには僕の受診番号と診察室にお入りくださいとの表示がなされている

思いのほか早い呼び出しである

ついに12月17日から12日目にして僕自身を振り回してきたものと対面する機会をついに得たのである

待合椅子からゆっくりと立ち上がり,目の前の診察室に向かう

その足取りは特別軽くはないが特別重くもない

診察室の前で一旦呼吸を整える

そして僕はその扉をノックする

その話の先

なんとも落ち着かない朝だ

この気分はどうも居心地が良くない

気分が乱れると気持ちが乱れ,そして感情が乱れてしまう

医師の話を冷静に聞けるのだろうか

いやいや考え過ぎないようにして心静かにして落ち着いていこう

ひとまず出勤して職場から電話をかける

昨日S先生から電話をいただきました

お話があるようですので午前中のうちに伺いたいと思いますが,S先生はいらっしゃいますか

アポイントが取れたので,職場にかかりつけの医院に行くとだけ言って時間休を申請する

医院に着いて受付をして看護師に呼ばれ血圧を測る

いつもの定期受診と同じである

看護師は話しかける

先生からのお話を聞きに来られたのですね

何気にいつもより高めに血圧の値が出ている

私が話しかけたからかも,ごめんなさい

いえいえ,お気になさらずに

ぎこちない表情で返事をしている

名前を呼ばれ遂に診察室に入る

S医師が穏やかに話し始める

H先生が大学に画像を持ち帰って脳血管の専門医に診てもらったところ,脳動脈瘤の疑いがあるようです

精密な検査をすることをお勧めしますので大学病院の脳神経外科を受診してみませんか

そうですね,はっきりしたいので大学病院に行ってみます

淡々と冷静に受け答えができていて我ながら感心してしまう

ちなみにどの辺りの血管ですか

二か月ほど前の最新MRI画像を示しながら

目の奥のこの血管のここのところですね

ぼやっとしてハッキリしない画像である

ここである疑問が頭の中をよぎっていく

S医師はこの脳動脈瘤ぽいものに気づいていたのだろうか?

疑問の本質をしっかりと考える前に思わず口に出してしまった

いやいや脳動脈瘤の疑いがあるかもしれないものが写っているようだが,この画像からははっきりとは診てとれないので,現状では経過観察でと考えていましたよ

うまく流されてしまった感じである

僕としてはいろいろとツッコミどころがある返答な訳だが,今の優先順位はここではない

大人の受け身でそうですかと流して,大学病院のほうをよろしくお願いしますと伝える

いつ受診しますか

年末でもあるし年明けにしますか

紹介医の外来は月曜水曜の午後になりますね

年明けなどと悠長なことは言ってはいられない

優先すべきは頭の中で何が起こっているのかということだ

職場の予定表を頭の中で素早くトレースする

そして日程を探る

12月28日水曜午後でお願いします

ではこちらから外来予約の連絡を入れます

紹介状を書きますので待合室でお待ちください

よろしくお願いしますと言い診察室を出る

待合室に座っていると診察時にいたスタッフが側にやってきた

大学病院に予約の連絡を入れました

後ほど大学病院の予約受付センターから確認の電話があります

日時についてはその時に改めで確認ください

不安感もなく和やかな表情で伝えてくれる

はい,ありがとうございます

医師の意図をわかりやすく伝えるスタッフの存在はとても重要である

紹介状を受け取り自宅で電話を待つ

程なくして連絡が入る

大学病院予約受付センターです

12月28日のK先生の受診ですね

12時30分で予約を取りました

10分前には受付を済ませて紹介状を持って脳神経外科外来にお越しください

新規ですので待ち時間が長くなるかもしれませんがご承知ください

実にスムーズである

やっとこのもどかしい感じが少しは晴れそうだ

ちょうど1週間後である12月28日にはそれが何であるのか,きっとはっきりとわかることになるだろう

少し気が緩んでしまったからだろうか

ちょっとした好奇心には逆らえずに,紹介状をチラ見してみる

その病名・症状欄には

前交通動脈未破裂脳動脈瘤疑い

との記述がなされている

そして電話が

僕は勤め人

毎日職場に通い仕事をして月に一度のサラリーを受け取り生計を立てる

生真面目で忠実な勤め人は仕事時間中のプライベートな電話には出ない

もしプライベートな電話があれば着信が残るので仕事時間外に後ほどコールバックする

それが基本スタンスだ

しかし今はそんなことは言ってはいられない

自分の脳内で何かが起きているのかもしれないのだ

ジャケットのポケットに入れてある携帯電話を何度も握りしめ30分ほどの間隔で着信を確かめる

着信に気づけばすぐに電話に出られるように

着信時に気づかなくてもすぐにコールバックできるように

もちろんその時にはさりげなく自分の席を離れて人に聞かれないところに行ってである

準備はできている

あとは電話が鳴るのを待つだけである

一日目,電話はない

日曜日だからなくて当たり前だ

二日目,電話はない

週初めの月曜日だからきっと忙しいに違いない

でもね,脳動脈瘤かもだよ,脳だよ,脳

三日目,電話はない

今日も無かった,もしかして単にそれっぽいものであっただけだったとか

それですぐに連絡する必要もなく次の定期受診の際に穏やかに話をするとか

そんな考えにほっと気持ちが和んでいる

仕事がひと段落した18時ころ,とりあえず携帯電話を確認してみる

なんと着信があるではないか

しかも留守電も入っているっぽい

16時30分ころ見た時には何も無かったはず

着信を確認してみる

かかりつけのあの脳神経外科医院からである

17時前の着信である

まずは訂正しておこう

三日目,電話が鳴っていました

生真面目で忠実な勤め人でも緊張感が切れてしまい見過ごしてしまうことがある訳だ

さて留守番を聞いてみよう

えっ,へっ,なに,なんで

かかりつけ医院のスタッフからの伝言ではない

かかりつけ医院の院長でかつ主治医のS医師自らの直々の伝言である

S脳神経外科のSです

ご連絡をいただければ幸いです

これだけである

気になる,気になる,気になる

直ぐにでもコールバックしたいが診療時間が終わっているので繋がらないだろう

明日の朝,診療時間開始直ぐに電話して直接話を聞きに行こう

思考が巡り巡る

なんとも言えない夜だ

もどかしくてたまらない

ベッドの中であれやこれやと素晴らしい想像力が発揮されてなかなか寝付けない

きっと朝まで眠れない夜になるはずだ

しかし考え疲れた脳と身体は素直である

いつの間にか,すやすやと眠りに入る

そして朝が訪れた

始まりはいつも

始まりはいつも突然だ

2022年12月17日

かかりつけの近所にある脳神経外科医院での受診がその始まりとなった

そもそもなぜ脳神経外科医院に通っていたのか

2021年3月に時は遡る

鼻詰まってるし肩が痛いし頭が重痛い感じだし脳神経外科医院でも受診してみようかな

脳ドックにも行ってないし頭のMRIもたまには撮ってもらうのもいいかも

という軽い気持ちから受診してみることにした

血圧測って血液検査して頭のMRI撮って問診という想定内のものである

そのときは少し血圧が高いですね,半年に一度くらいMRI撮りましょうかなどと穏やかに終わったわけで…

僕としても脳ドックを受けるより保険医療で頭の検査ができれば経済的にも優しいしということで,かかりつけとして定期的に受診することにした

そういった経緯からこのストーリーの始まりとなるMRI画像は2022年10月撮影のものである

さて2022年12月17日に話を戻そう

その日いつものように,僕的には血圧を下げる薬を処方してもらうために,近所のかかりつけ脳神経外科医院の定期受診に赴いた

いつものように受付して,看護師さんに血圧を測ってもらい,お変わりないですかといつもと同様の会話をして,問診となった

問診する医師は大学病院から外勤で診療に来ているH医師である

血圧は良好ですねと穏やかに言いながら,モニターに映る僕の最新MRI画像をコロコロと画面を切り替えながら眺めている

これ動脈瘤ぽいよね

この画像ではハッキリしてないようだけど

画像,大学病院に持ち帰っていい?

僕は脳血管が専門じゃないから,大学の脳血管の専門医に診てもらっていい?

突然である

突然の発言に頭が追いついていない

僕に言ってるのか,ここのスタッフに言っているのか,それも不明である

問診は終わったらしく,へ,はい,と頭の悪い返事をして待合室に戻る

すると問診に立ち会っているスタッフが側にやってきて,先ほどのH医師の通訳をしてくれる

この前撮った画像に動脈瘤かもしれないものが写っているようなので大学病院に持ち帰る

脳血管の専門医に画像を診てもらい,その結果を当医院の先生に伝えるので,当医院から連絡を入れますから

ということらしい

はい,はいと素直に聞き,無意識に翻訳された連絡事項を声に出して再確認している

何気に動揺しているのだろうか

どれくらいで連絡をもらえますか?

大学病院から連絡があればすぐに電話入れますね

と曖昧な返事によろしくお願いしますとしか返せないところがやはり動揺している?

ストーリーが始まってしまった

僕はああ動脈瘤ねえと悶々としながら電話が鳴る時を待つことになってしまったのである

結末をまだ知らないストーリー

嫌なことや悪いことは,気づかれないように近づいてきて,突然に目の前に現れる

どうやら僕の頭の中に動脈瘤があるらしい

このストーリーはここから始まる

まだこの結末がどのような形で決着をつけることになるのか今はわからないが…

いろいろと考えてしまう前に,その時々の僕自身を語り記すことにした